心に上弦の月

分析厨による分析ブログ

あの人の居ない場所

 

前置き長くなるけど、だいたいジャニーズWESTの話しをします。

 

 

 

 

何度か申し上げている通り、私は元大倉担で、

中1から大倉くんが好きだった。

 

今は死語になってるけど当時「はちいち」「なないち」という言葉があった。

由来は∞レンジャー*1の大倉くんのページ。彼は更新の度、1番最後に「8→1」と載せていた。

誰かが大倉くんに確認をとった訳ではないので真相は分からないけど、多くの人がこれを元メンバー・内博貴に関係する事だと考えた。

そこから、内博貴がいた8人当時を好きな人のことを「はちいち」、7人での活動が好きな人の事を「なないち」と呼んだ。

 

私は内博貴から関ジャニ∞を知った人間なので当然「はちいち」だった。

でも、私がえいとを好きになった時には既に大倉くんのページに「8→1」はなかった。

8人を応援できないことは悔しかったけど、何をどうした所で私の力では過去に戻る事も、うっちーをえいとやNEWSに戻す事なんてできなかった。

 

ずっと前から応援してる人は、事あるごとに内博貴の話をした。妬ましかった。

私はその頃から応援していますよってアピールが本当に嫌だった。

ジャニヲタの世界では、過去を懐かしんでばかりいる人のことを「懐古ババア」と呼ぶ。

私は懐古ババアが嫌いだった。ただの嫉妬だけれども。

 

そんなに内博貴の話をして何がしたいんだとずっと思っていた。

 

 

 

 

 

 

懐古ババアを嫌悪した翌年、私は完全に精神を病んでいた。でも当時は特段自分が病んでるとも思わず、腹痛に耐え、周りの笑い声や話し声に怯えながら毎日を過ごしていた。

その頃の心の支えは関ジャニ∞から関西ジャニーズjr.に変わっていた。

BOYSの中田大智が好きだった。

関東に住んでる中学生は、雑誌や違法にアップされた動画を観る事しか出来ず、雑誌も月に1冊が限界だった。

 

夏休みが明けて、9月。教室に入るたびに激しい腹痛と吐き気に襲われ、朝の会終了後は、放課後まで保健室で過ごしていた。でも、絶対に学校には行った。毎日行った。

少年倶楽部in大阪は9月放送だった。

当時は現在の関西コーナーみたいなのは一切なく、東京にゲストとして来ない限り、関東に住んでる人間がテレビで関ジュを観れるのはこの9月の2回の少クラだけだった。

私はそれを観て号泣した。何度も何度も観たけど、何度も何度も号泣した。

 

少クラ初披露のBIG GAMEを観た時には、私はこの人達を応援してるんだ、じゃあ何も怖くないや、とさえ思った。

 

battleの曲中、バク宙をして頭にかかってしまったフードを外す大智はノイローゼになるくらい観た。

 

さよならは間やブレス、言葉のくせまで全て完コピできるくらいに観た。

 

jr.にQ、「僕の名前の由来」、今でも何だったか言えるくらいに観た。

 

 

次の年、大智はそこに居なかった。

淳太が泣いていた。

まーしーも居なかった。

菊さんも居なかった(と思う)。

 

 

 

 

 

どんどん人数が減っていった。

 

無敵だったB.B.V.は半分しか残っていなかった。

 

 

ジャニーズWESTがデビューした。

 

もちろん、大智はそこに居なかった。

 

24コンのDVDを見せてもらった。

ばどが2人でアメフリを歌っていた。

濵田は一人でSTAY GOLDを歌っていた。

隣に大智は居なかった。

 

 

WESTival、横アリ公演のチケットを友達がとってくれた。

自分は神ちゃんのうちわを持つと思っていた。

もういい加減成仏しないと。WESTに大智は居ない。この人達は前に進んでいる、ずっとあの頃と比べるのは彼らに失礼だと思ったし、純粋に神ちゃんを好きだと思い始めていたから。

 

 

結局公演中、私はここに大智が居たらどうなるんだろう、大智だったらなんて言うかな、と、そればかり考えていた。

 

お金も時間もかけられなかった大智の事が、私は自分で思っていたより好きだったみたいだ。

人生で一番苦しかった時を支えてくれただけあるな、と他人事のように思った。

 

 

 

 

私がTLに現れる人には申し訳ないなと思いつつ、私はまだ成仏できずにB.B.V.の亡霊と化し、懐古ババアを続けている。

 

懐古ババアは何をしたいんだと思っている若者よ、聞いてくれ。

 

私たちは何か今を変えようなんて大それた事を考えちゃいない。

あの頃があったという事実をなかった事にしてほしくない、忘れて欲しくないだけなんだ。

 

 

最終形態だけの話になるけれども、

ばどは2人で、BOYSも2人で、

4人ではばとぼと呼ばれて居たんだよ。

Veteranっていう6人も居て、

10人集まるとB.B.V.って呼ばれて居たんだよ。

 

ビクゲ冒頭、階段から降りてくる10人を観て

「最強だ」って思った。

 

 

 

大智も歌が上手くてね、濵田と2人でなら、次世代のキンキとか言われるのかな〜って思ってたりした。

 

 

 

そうやって思ってたのはきっと私だけじゃないはずで、その頃が今でも大好きな人も私だけじゃないはずで、

 

うるせえ懐古ババアって切り離すんじゃなくて、知って欲しい。

事実だけでも良いけど、それを見たヲタクがどう思ったとか。

 

 

なかった事になってほしくないの。

でも、自分の中だけだと不安になってしまうから、誰かと分け合いたくて、叫んでしまうの。

 

 

 

 

 

神ちゃんを好きになり始めた気持ちも、流星のお顔もキャラも好きな気持ちも、その他メンバーに好感を持つ気持ちも(割愛)、嘘じゃない。

 

でも、私は誰か1人を、と言われたらきっと、濵田を選んでしまうんだと思う。

彼が、大智の最後の相方だったから。

大智が居なくなったBOYSで、1人で歌ってくれたから。

 

居なくなって初めてのin大阪、まーしーと菊さんが居なくなった4人のベテと一緒に濵田が轟を踊って居たのを観て、また私は泣いた。

濵田が何人分も背負って踊っているように見えたから。

終わった後、肩で息をして居た。全力だった。

その年のin大阪は苦しくてあまり観なかったけど、凄く覚えている、

 

 

 

TOKIO×、デビュー前の形態について話していた。濵田はソロだって言って笑いどころになっていた。笑えなかった。

きっと、WESTの頭には大智のお顔が浮かんでるんだろうなと思ったら、笑えなかった。

 

 

 

友達の家で溜まっていたM誌を読んでいた。

その中に照史の一万文字があった。

「4人で腹をくくった。7人がいいのは分かっていたけど、それだったら他の子が俺も入れてくれよってなる。頑張ってないやつなんておらんから」(ニュアンス)みたいなことを言っていて。

 

私は龍太と文のことを考えた。

あの2人はどう思ってるんだろう。

 

あんなに濵田のことが大好きだった文。

兄も弟も退所したのにただ1人残って活動を続ける龍太。

 

 

去年、龍太は滝沢歌舞伎でそれなりに出じろが多く、台詞も多い役をもらった。すごく嬉しかった。迫力あったし、常連になれたらいいなって思った。今年、滝沢歌舞伎に彼の名前はなかった。

 

久しぶりに少クラで文を見た。

舞闘冠の曲だけで凄く嬉しかったのに、3人もメンバーが揃って幸せだった。

東京の収録で舞闘冠がやるってなっても、文が居ない事が多かったから、東京の収録で舞闘冠で文がいて、しかも今が2018年だってことが嬉しさを通り越して不思議だった。

「ワンツースリーフォーチャチャチャ」のやまりょが観たいので、録画をあさろう。

 

 

 

デビューしなくても、ジャニーズ事務所所属のタレントとして活動し続ける2人はかっこいいと思った。あの退所の波に流されなかった2人を純粋に尊敬した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで、大智はここに居ないんだろうと、たまに思う。

あの人がいけない事をしたからだよって言われたらそりゃ返す言葉もないです。その通り。

 

だけど、なんでそれは大智だったんだろう。

濵田の相方になったのも、BOYS最終形態がこの2人だったのも、あの事件を起こしたのも、私が好きになったのも。

 

 

大智のブログを昔書いたら、全く知らない人から「犯罪者の何が好きなの?」ってコメントが来た。悔しかった。

 

鼻で笑われることもあった。

 

 

 

 

なのに、私は今でもジャニーズWESTの中に彼を探してしまう。

 

居ないと分かっているのに、探してしまう。

 

 

いつか忘れるだろう、いつかまた関西で別の人を好きになるだろうと思っていた。

大きな間違いだった。

 

 

 

私はまだ大智以上の関ジュを見つけられずにいる。

 

大智があの事件を起こさずに今でもジャニーズに居たらどうなってたんだろう、とハタチを超えても考えてしまう。

 

大智やまーしーが居なくなってから、関ジュがカウコンに出始めたのは、偶然だったのかな、とかくだらないことも考えてしまう。

 

 

 

タレントは語れない。

えいとが内博貴の話をしてくれたのは、本当に嬉しかったけど、賛否両論あったと思う。

色んな事件のたびに思うのだが、タレントがこう思っているだろう、と推測し、違う内容をタレントが話した所で、ファンは納得しない。実際、私は出来なかった。8人目の関ジャニ∞になんてなりたくない、そんなの嫌だ、どうせ言わされたんでしょ、本心じゃないでしょ、と思ってしまった。

きっとこの先もWESTが去って行った彼らを実名で呼び、エピソードなどを話す事はきっとないだろう。あるかもしれない、と期待するだけ虚しい。

 

 

あの人の居ない場所にあの人を重ね続ける。

 

懐古ババアは懐古ババアとして生きていく。

*1:johnnys' web参照