渋谷すばると音楽と関ジャニ∞と私
私の人生、13歳から今までいつもえいとが居た。
だからもう、一生分泣いたんじゃないかなって思うくらい泣いた2日間でした。(この文章始めたのが火曜日でした)
感傷的になってる部分もあるし、宗教みあるからポエミーになるけど、許してね。それが味だと思ってね。
アイドル応援してれば、誰もが脱退のニュースに巻き込まれた事はあるでしょう。たいがいがガセだけど。今回もそれだと思ってた。火消しだろうって。もしくは、また映画が決まったのかな〜なんて思ってた。
映画やるならソロコンもするだろうな、とか
私はすばるのソロコンは着ブロしか入った事ないから、着ブロ以外にも行ってみたいなぁとか、そこまで考えてた。
周りの人に「本当なの?」って聞かれても、「ガセですw よくあることなんでww」って普通に笑って返してた。
だって、すばるだよ?(笑)「関ジャニ∞っていうアイドルグループでアイドルやってます」って自己紹介したり、「アイドル超えてますねって、なんでそんなん超えなあかんの?」って言ってくれた人だよ?(笑)
謝罪コン(死語)でマイホームを歌いながら「ここに帰ってくれば俺たちはいるから、いつでも帰っておいで」って言ってくれた人だよ?(笑)
辞めるわけ無いって笑って断言できた。
土曜日の夜私はJr.チャンネルを見ていたらしい。
日曜日の朝、起きてすぐのツイートが「待って、待って」だった。
土曜日の夜の私が羨ましい。
「ガセですよww」って笑ってた私が羨ましい。
11時前にいつもの親友とLINEしてて、もう向こうとしては脱退の発表しかないみたいな言い方で。
でも、私はどうしても信じたくなくて、というかそんな状況になっても、すばるが関ジャニ∞を抜けるわけがないと思っていて、なんなら今でも思っていて、彼女とは全く話が噛み合わなかった。
今思えばとっても面倒な事言いまくってしまったなぁと思う。そんなのも受け入れてくれてありがとう。そうだね、うん、ってそれだけ言ってくれる存在に感謝した。
えいとにいつも一緒に入る戸塚担(元安田)とは、なぜかLINEでしりとりをした(笑)
普通じゃ居られなかった。
11時になって、もちろんサイトには繋がらなかった。でも誰かのスクショとか、テレビとか、ネットニュースで知るのは絶対に嫌だったので、何度も何度もアクセスした。
10分くらい過ぎてやっと繋がった。
あんなに信じてないくせに、その文を見たときは「ああ、やっぱりね」と、思った。
「今まで色んな歌を歌ってきました」
その文で、堰を切ったように涙が止まらなくなって、もう何も頭に入ってこなかった。
大倉くんの文章さえあまりちゃんと覚えていない。
だけど、最後の横山の名前が、横山裕(侯隆)になっていて、また涙が止まらなかった。
しばらく泣いて、泣き止んで、とりあえずお風呂に入った。
お風呂から上がって、お母さんに
「すばる、ジャニーズやめるって」
って言った。今思うと映画のタイトルみたいだなぁ。
11時からそこまで、私は一言も発してなくて、ただ目から入る情報を見ては流し、を繰り返していて、そこで母に言った自分の言葉にまた泣いた。
自分で言って、ああ、やめるんだって思った。
こんなに早く目って腫れるんだって感動するくらいに目はパンパンで、真っ赤に充血していたけど、バッチリフルメイクをしてバイトに向かった。
うちの母は無神経なので、母と家に居たら傷つきそうだし、趣味でバイトを休むなんて社会的にどうかと思ったので、働いた。
だけど、五分おきに涙を堪える地獄のような9時間だった。
すばる、やめちゃったね、
関ジャニこれからどうなるの?
向こうは悪気もなく私に声をかけてくる。
その度に泣いてしまって、本当にみなさんに迷惑をかけた。
終礼では、よく来たね、よく頑張ったねって店長が言ってくれた。本当にその通りだと思う。
戸塚担とカラオケに行くことになった。
集合場所まで親友が車で送ってくれた。
友達に恵まれてるなぁと実感した。
それと同時に、ヨコヒナは、こんな存在を失うのか、と思った。
カラオケには行ったけれど、全く歌う気にはなれなかった。
記者会見をまず2人で見た。
それからしばらく黙った。
13歳から9年間、担降り等々あったけれど、えいとを嫌いになったことなど一度もなかった。
えいとは特別だった。
実家、故郷、そんな感じ。
今まで何度もえいとを好きになれる人間で良かったと思った。
私は大倉担だったけれど、渋谷すばるはこの地球上で一番尊敬する人だった。
彼の生き方が好きだった。彼の選ぶ言葉が好きだった。
「俺のこと嫌いなやつもおると思うけど」ってコンサートで言った時には、それでもステージに立ち続ける姿に嫌でも感動せざるを得なかった。
すばくらの叩いてかぶってじゃんけんぽんが大好きだった。
ふぁぼられもすばくらの真骨頂って感じで大好きだった。
すばるの隣に居る大倉くんはいつも笑ってた。
私がね、持ってるDVDの中で一番好きなシーンはね、8ESTで、レッドがBabunにコテコテの関西弁で喧嘩うるやつ!
もうこの先、こんなの見られないんだよなぁ、
黙ってる間、こんなことを考えていた、
彼女が何を考えていたかは知らない、
カラオケだから、横並びの椅子で、
泣いていたかどうかもわからない。
お部屋には鼻をすする音とため息ばかりが響いた。
やめて!いかないで!!嘘だよね!?の感情が落ち着いてくると、
なんで?という怒りにも似た疑問の気持ちが大きくなっていた。
帰ってきたら俺たちはここにいるって言ってくれたじゃん、居なくなるんじゃん、
ヲタ語の「担当」って言葉を否定したのもすばるだよ、それで「◯色えいたー」とかいう言葉ができたんじゃん、使ってないけど()
ヨボヨボになってもエイトレンジャーやろうなって言ってたじゃん、
ヒナの隣で屁こいて死ぬんでしょ?
今までに嘘はないって大倉くん言ってたけど
これまで発言してきた未来のことは全部嘘になるじゃん。
居なくなる未来なんて話してないもの。
すばるの頭に一瞬でもヲタクの顔は浮かんだのだろうか。
すばるがいなくなった6人の関ジャニ∞を見たヲタクの事を考えたんだろうか。
悲しむのは俺のファンだけ、とでも思ったのかしら。
ジュリーは去年、「ファンは個人につくの、グループじゃない」と発言していたみたいだけど
それは大きな間違い。
ああやって、何の不安もなく未来の話ができる、死ぬときも一緒だって何の重みもなく当たり前のように話せる関ジャニ∞に所属している大倉忠義が好きなの。
大倉くんがえいとを辞める訳ではないし、えいとが解散する訳ではないけれど、
関ジャニ∞のそういう雰囲気って、やっぱ三馬鹿の存在が大きいと思うから。
三馬鹿のことをめっちゃ考えた。
ああ、だからイフオアも終わるのかなぁと思った。
なにかの記事で『未定』をまた2人でやる為に一人でヒナが待ってる、と言っていたような記憶がある。
もう待っても2人では出来ないものね。
私は勘違いしていた。
渋谷すばるは、関ジャニ∞として音楽が好きなんだと思っていた。
このメンバーでやる音楽が好きなんだと思っていた。
でもそれは、ただのヲタクの思い込みでしかなくて。
彼は一人の人間として音楽が好きだったみたいだ。
大倉くんが言うように、関ジャニ∞では追えない夢なのか、日本ではできないことなのか、メンバーの人生は考えたのか、ヲタクも聞きたいことだった。
すばるの回答はすべて漠然としていて、我々を納得させるには足らないものだった。
横山の「この日が来ないでほしかった」それもヲタクが言いたいことだった。
大切なものは失ってから当たり前じゃなかったと知る、という定型文がありますが、
本当に当たり前すぎると、失ってもそれを理解できない、信じられないんだなぁと知った。
涙はもうでなくなったけど、テレビを観たり、ゲームをしたり、友達と話したりしていると、すばるのこと、一瞬頭から離れて、思い出して、不思議な気持ちになる。
こんなに悲しい思いをするなら、出会わなければよかったという言葉をよく目にしました。
それに対して、ポカホンタスのセリフ、「君を知らずに100年生きるよりずっといい」というツイートがバズっているのも見ました。
でも、私は何故か平井堅の曲を思い出しました。
「いつか離れる日がきても 出会えたすべてを悔やむことだけは決してしたくないから」
それはラブソングだけど、まさに私の気持ちはこれでした。
同時に関ジャニ∞の蒼写真、「時計の針があのころまでもう一度戻ったとしてきっと同じ道を選んで悩み歩いてきただろう」も思い出しました。
私はこんな苦しむことがわかってても、こんなに泣くことが分かっていても、きっと関ジャニ∞に私の青春すべて捧げて、同じようにこのタイミングでまた苦しむんだろうな、と思います。
もうしばらく、「やめて、行かないで」と、駄々をこねさせてください。
それくらいの権利、ヲタクにもありますよね。
命がけで好きでした。
関ジャニ∞と関わるのが甘えと言うならもう関わらないで、という人もいるけれど
私はいつか、すばるがうっちーを連れて、
2人でクロニクルでも、関ジャムでも、ジャニ勉でも、コンサートでも、ラジオでも、なんでもいいので、戻ってきてほしいなって思います。
まだドッキリだと思ってます。
行かないで、とか、いつか戻ってきてほしい、とか、ドッキリだ、とか
私は一体信じられないのか、受け入れてるのかどっちなんでしょうねw
年内に心変わりしたならすぐ言ってください。
別に向こうに行ってからでも帰ってきてください。
関ジャニ∞として、また歌ってください。
以上、私のはちゃめちゃな心境でした。